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生きにくいと感じる人への処方箋 【あした死ぬ幸福の王子】

この記事について

【あした死ぬ幸福の王子】の要約です。

私自身、とても感動した作品です。

本来的な生き方を考えるきっかけとなりました。

人生このままで良いのだろうか?と、人生に壁を感じたり、生きづらさを感じるた時に読んでほしい1冊です。

ハイデガーの哲学のキーワード

①本来的な生き方への気づき

  • 非本来的な生き方
  • 道具的な生き方
  • 本来的な生き方

②「人生の有限性」と「死を意識すること」

③自分が生まれてきた意味を問いつづける

⑤「わたし」のオリジナリティのある人生

①本来的な生き方への気づき

人間には、本質的な生き方と、非本質的な生き方という両側面があります。

ですが、多くの人は、片方の側面である非本質的な生き方にのみ注視して生きています。

非本質的な生き方

非本質的な生き方とは、日常生活に埋没し、好奇心や曖昧さに囲まれた表面的な生き方のことを言います。

私たちの生活の世俗的な生き方が本質的な生き方といえるでしょう。

「あした死ぬ幸福の王子」の中では、「「おしゃべりと好奇心」に満ちた表面的な生活」と表現されています。

道具的な生き方

また、この非本来的な生き方の特徴として、自分が「道具」として生きているという特徴があります。

これは、社会での役割と言い換えても良いかもしれません。

私であれば、会社の社員として、子の父として、妻の夫として、母の子として、ある商品のユーザーとして、などなど。このように、全て、誰かのための役割(道具)として存在するという側面が非本来的な生き方の特徴です。(道具連関)

これをハイデガーは「道具連関」としています。

この非本来的な生き方は、誰かの為の側面であり、自分のためではありません。

ここに着目し、ハイデガーは「自分の為の人生」という側面である、本来的な生き方に目を向けるべきだと主張しています。

本来的な生き方

本来性とは、自らの有限性を真摯に受け止め、死への先駆的覚悟を持ちながら、自己の本来的な可能性に向かって開かれた状態で生きることを意味します。

言い換えると、世間の価値観や期待に無批判に従うのではなく、自己の存在の意味を常に問い続け、批判的に吟味する継続的なプロセスを含みます。

②「人生の有限性」と「死を意識すること」

それでは、本来的な生き方はどのようにすれば良いのか?という疑問が湧きます。

ここで、必要な考えが「有限性」です。

非本来的な生き方には、この有限性がありません。

有限性が無いとはどういうことか?

本当に大事なことに時間を使うことをしなくなります。

有限性がなければ、無限であるように過ごしてしまいます。

自身の生活を振り返って見てください。

人間はいつか必ず死ぬという、有限な存在であるにも関わらず、命が無限である様に過ごしていないでしょうか?

自分の人生に必要のないことに、時間を費やしていませんでしょうか?

無駄だと分かっていてもそれを止めることが出来ません。

何故か?

「有限性」を意識できていないからです。

ー死を意識すること

では、「有限性」を意識するためにはどうすれば良いか?

「死を意識する」ことだとハイデガーは述べています。

もし、明日死ぬとしたら、あなたは何をしますか?

この問いをすることで、自分が命を費やしている行動が、本来的か、非本来的かが浮き彫りになります。

③自分が生まれてきた意味を問いつづける

ここでひねり出した、本来的な生き方の答えについては、現段階の答えに過ぎません。人生は移ろい変わるもの。その時々の本来性も変わっていきます。

そして、常に非本来的な生き方に埋没してしまうものでもあります。

命が尽きるまで、自分の存在の可能性は開かれています。

だからこそ、本来的な生き方を自身に問い続けよ、とハイデガーは主張しています。

④「わたし」というのオリジナリティのある人生

誰も変わりが務まらない、それこそが「わたし」であり、

その「わたし」とは、なにものなのか。という定義を探し続けるのが人生であるのだろうと感じます。

無意識に誰かと比べてしまい、見えない誰かとの競争に疲れを感じている現状が、人生を生きにくいと感じさせる要因の1つではないでしょうか。

そんな現代人にとって、ハイデガー哲学の本来的な生き方を模索し、本来的に生きる道を知ることは、生きにくい現代社会を生きるためのヒントになるのではないでしょうか。