見返りを求めないGIVEが、結果として豊かさをもたらす理由
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最近気づいた、GIVEの不思議
最近、見返りを求めない行動ほど、結果として何かが返ってくることがあるのではないかと思うようになりました。
ここでいうGIVEとは、相手のために、自分から時間や知識、労力、気遣いなどを差し出すことです。困っている人に手を貸す。自分の知っていることを伝える。誰かを紹介する。頼まれていなくても、相手が少し楽になるように動く。日常や仕事の中には、さまざまなGIVEがあります。
もちろん、何かを差し出せば、必ず同じだけ返ってくるという話ではありません。何も返ってこないことも、それなりにあります。
それでも、見返りを求めないGIVEには、不思議な豊かさがあります。返ってこなくても損をした気持ちになりにくく、思いがけず返ってきたときには、些細なことさえ大きな喜びに感じられるからです。
対価のある行為は、その場で精算される
仕事として何かを提供し、対価を受け取る。商品を買い、その代金を支払う。これは、お互いが納得して成り立つ大切な交換です。
一方で、対価を支払った時点で、その行為はいったん「精算された」と感じられやすい面もあります。提供した側は報酬を受け取り、受けた側は代金を支払う。それによって、両者の貸し借りはなくなります。
だからといって、有償の仕事が人の心に残らないわけではありません。期待を超える仕事や温かな応対が、長く記憶に残ることもあります。ただ、少なくとも契約上は、対価をもって関係が一区切りになります。
正当な対価を求めることは、決して悪いことではありません。仕事や専門的な支援には、適切な報酬が必要です。ここで考えたいのは、そのような取引とは別のところにある、対価を条件としない行為です。
見返りのない行為は、相手の中に残ることがある
頼まれていないのに助けてもらった。自分のために時間を使ってもらった。必要な情報を惜しみなく教えてもらった。
そのような行為には、あらかじめ値段がついていません。受けた側が「これで支払いは終わり」と区切るものがないため、行為とともに相手の気持ちが記憶に残ることがあります。
私はこれを、まだ「精算されていない」行為と捉えています。
ただし、これは相手に借りを負わせるという意味ではありません。「あのとき助けたのだから、今度は返してほしい」と心の中で請求書を持ち続けるなら、それは見返りを求めないGIVEとは異なります。
返すことを要求していない。それでも相手の中には、「うれしかった」「助かった」「ありがたかった」という気持ちが残ることがある。その気持ちが、いつか別の行動として表れることがあります。
それは、お金とは限りません。困ったときに力を貸してくれるかもしれません。新しい機会や人を紹介してくれるかもしれません。こちらのいない場所で、信頼できる人として名前を挙げてくれるかもしれません。
しかも、返ってくる相手、時期、形は、最初に想定したものとは限りません。だから、これは交換条件として計算できるものではないのだと思います。
人はなぜ、好意を返したくなるのか
人から好意を受けると、「自分も何かを返したい」と感じることがあります。これは、社会学や社会心理学で「返報性」と呼ばれる働きです。
また、日本では「恩」「義理」「お返し」といった言葉に表れるように、受けた好意に応えることが、人間関係を保つ行動として大切にされてきました。こうした文化的な意味づけも、返報を後押しする可能性があります。
ただし、返報性は誰もが必ず従う法則ではありません。また、義務感だけで返す行為は、関係を深めるより、貸し借りを早く精算するための負担になる場合もあります。
返報性の仕組みや、日本の「恩」「義理」「お返し」と「恥の文化」との関係については、返報性の原理とは―「恩返し」を心理と文化から考えるで詳しく説明しています。
もちろん、何も返ってこないこともある
GIVEについて語るときに忘れたくないのは、どれだけ相手を思って行動しても、何も返ってこない場合があることです。
相手に余裕がないこともあれば、こちらの行為がそれほど必要ではなかったこともあります。感謝していても、それを言葉や行動に表さない人もいます。時間がたてば、忘れられることもあるでしょう。
しかし、最初から見返りを条件にしていなければ、「返ってこなかったから損をした」とは感じにくくなります。自分がしたかったからした。相手の役に立てれば、それでよかった。その行為は、自分の中ではすでに完結しています。
この意味では、見返りを求めないGIVEは、返ってこなかったときにも壊れにくい行動です。
求めていないから、小さな返報が大きく感じられる
そして、見返りを求めていなかったからこそ、何かが返ってきたときには、その価値を大きく感じます。
「あのときは助かりました」という一言。こちらの様子を気にかける短い連絡。別の場面でのちょっとした協力。誰かへの紹介。どれも、それ自体は小さなことかもしれません。
けれども、もともとの期待がゼロに近ければ、それらは予定されていた支払いではなく、予想外の贈り物になります。
反対に、「これだけしたのだから、これくらいは返してくれるだろう」と期待していれば、同じ行為を受け取っても「思ったより少ない」と感じるかもしれません。返報の大きさは、受け取ったものだけではなく、こちらが事前に置いた期待によっても変わります。
見返りを求めないことで、小さな返報を大きな喜びとして受け取れる。これも、GIVEが持つ一つのマジックなのだと思います。
行為と一緒に、相手の気持ちを受け取る
返ってくるものは、目に見える行為だけではありません。
相手が自分のことを覚えていてくれたこと。時間を使って考えてくれたこと。自分との関係を大切にしようとしてくれたこと。返報の中には、感謝、配慮、信頼といった相手の気持ちも含まれています。
そのため、小さな行為でも、金額や労力以上のものとして感じられます。「自分のしたことが届いていた」「この人との間に関係ができていた」と実感できるからです。
日常生活における向社会的行動と肯定的な感情の関係を調べた研究でも、人のためになる行動と前向きな感情には、時間を通じた相互的な関連が報告されています。ただし、GIVEをすれば誰もが幸福になると保証するものではありません。人に何かをすることが、状況によっては負担になる場合もあります。
それでも、自分の意思で差し出したものに相手の気持ちが重なって返ってきたとき、そこに満足感や幸福感が生まれることはあるでしょう。
GIVEの往復が、人との関係を深める
返報を受けると、単に「貸し借りが精算された」と感じるだけではありません。「この人は自分の行為を受け取ってくれた」「自分のことも大切にしてくれた」と分かります。
そのとき、「またこの人の力になりたい」という気持ちが生まれることがあります。相手も同じように感じれば、GIVEは一度きりの出来事ではなく、互いに支え合う関係へと変わっていきます。
たとえば、以前に情報を共有した人が、別の機会に声をかけてくれる。その声かけが新しいつながりを生み、今度はこちらが別の形で協力する。こうした往復の中で、相手への理解や信頼が少しずつ積み重なります。
すべての人と関係が深まるわけではありません。だからこそ、自然に気持ちを返してくれる人の存在に気づけます。GIVEと返報の往復は、自分がこれからも大切にしたい相手を知る機会にもなるのだと思います。
見返りを期待した瞬間、GIVEは取引に変わる
GIVEの難しさは、表面上は無償でも、心の中で見返りを期待してしまうことです。
「ここまでしたのだから、感謝してほしい」「今度は自分を助けてほしい」「評価や仕事につなげてほしい」。そう考えること自体は、人として自然です。ただ、それが行動の条件になった瞬間、GIVEは見えない取引に近づきます。
人は行為の大きさだけでなく、「なぜしてくれたのか」も感じ取ります。見返りを得る意図が透けて見えれば、相手は好意よりも取引として受け取るかもしれません。
見返りを得るためのGIVEには、どこかで意図がにじみます。純粋なGIVEに近づくためには、「何が返ってくるか」より先に、「自分がそうしたいか」を確かめる必要があります。
GIVEと投資は似ているようで違う
GIVEには、投資と似ているようで異なるところがあります。
どちらも、今すぐ結果が出るとは限りません。時間を置いて、思わぬ形で価値が生まれることもあります。その点では、GIVEも将来に向けて何かを差し出す行為に見えます。
しかし、投資は基本的に、将来のリターンを想定して行うものです。期待するリターンがなければ、投資するかどうかの判断も変わります。
一方、見返りを求めないGIVEは、リターンを行動の条件にしません。何も返ってこなくても、自分はそうしたい。相手の役に立つこと自体に意味を感じる。そこに、投資との大きな違いがあります。
返ってくることを狙わないから、返ってこなくても失敗にはなりません。そして、返ってきたときには、利益ではなく贈り物として受け取れます。
見返りを求めないことは、自己犠牲ではない
ただし、見返りを求めないことと、自分を犠牲にすることは別です。
時間や体力に余裕がないのに、頼まれたことを断れない。専門的な仕事を無償で求められ続ける。相手が当然のように受け取り、こちらの負担だけが増えていく。そのような状態までGIVEと呼んで正当化する必要はありません。
GIVEは、自分の意思で選ぶものです。「やりたい」ではなく、「断ったら嫌われる」「評価を失うのが怖い」という気持ちで行っているなら、一度立ち止まったほうがよいかもしれません。
自分の時間、健康、生活、専門性を守ることも大切です。無理なく差し出せる範囲を決めることは、冷たさではありません。GIVEを長く続けるための境界線です。
「返ってこなくてもしたいか」を自分に問う
見返りを求めないGIVEが結果として何かをもたらすことは、確かにあります。しかし、必ず返ってくるわけでも、望んだ相手から望んだ形で返ってくるわけでもありません。
だから、行動する前に問いたいのは、「これは、いつか返ってくるだろうか」ではありません。
何も返ってこなくても、自分はこれをしたいだろうか。
その問いに「したい」と答えられるなら、その行為はすでに自分の中で完結しています。返報がなくても、損をしたわけではありません。
そして、ときどき思いがけない形で何かが返ってきます。そのとき私たちは、行為だけでなく、相手の感謝や配慮、信頼まで受け取ることができます。期待していなかったからこそ、小さなものが大きく感じられ、その人との関係をさらに大切にしたいと思えるのです。
見返りを求めないGIVEがもたらす豊かさとは、得をすることではなく、返ってこないことに縛られず、返ってきた気持ちを十分に喜べることなのかもしれません。
参考資料
Snippe et al.「The Reciprocity of Prosocial Behavior and Positive Affect in Daily Life」




