この記事について
僕という心理実験(妹尾武治著)の読書感想です。
400ページの少し厚めの本ですが、行間があるのと、一文が短く区切られているので、とても読みやすい作品でした。
アニメや、漫画、映画の名言が散りばめられていて、随所にユーモアをがある部分も読みやすいと感じる理由かと思います。
この世界の生きづらさを感じる人に読んでもらいたい1冊だと思います。
著者はこの本を通して、生きることを肯定してくれています。
心理学的決定論
人間の思考や行動が事前に決定されており、自由意志は存在しないとする哲学的立場です。
この理論によれば、私たちが自由意志を持っていると感じるのは錯覚にすぎないという考えです。
著者は、この考え方をうまく利用することで、生きづらい世界の待避所を作ることを提案しています。
プロレスの例
著者はプロレスファンで、心理学的決定論の使い方を例えています。
プロレスでは、最初からシナリオが決められているという考えと、ガチであるという2つの考え方があるようです。
プロレスファンは、その考え方を試合の流れを見ながら、うまく使い分けているようです。
ある時は、それは決まっていたシナリオだ。と考え、お互いが熱くぶつかる一瞬においては、ガチだ!と熱くなって応援するようです。
この例えが、本当にわかりやすく腑に落ちました。
未来が決まっていたとしても
例え、未来が決まっていたとしても、それを知り得ない我々人間には、それは「決まっていない」の同義ではないでしょうか。
だから、都合よく、決定論を使えばいいのではないかと思います。
自分一人ではどうやっても処理しきれない現実においては、その重荷を世界に返すために決定論を使えばいいのです。
決められた未来に向けて、ただ、全力疾走すれば良い。この全力疾走の楽しさこそ、決定論の魅力だ。
未来が決まっているという、大河の流れに身を任せ、自分でオールを漕ぐことなく決められた未来に到着するという安心感も決定論の良い部分かと思います。
世界は、ゴールデ私たちを待っているのです。
安心して生きればいいだけなんです。
自由意志であると考えた方が、自分が幸せになるのであれば、その考えを引っ張れば良いのだと思います。
違和感を感じる部分
加害者に寄り添うことこそ、世界に必要であると、第2勝の日本社会と決定論で語られています。
言わんとしていることは、わかるのですが、どうしても被害者の立場で捉えてしまい、その怒りや憤りを昇華することができませんでした。
確かに、世界にはこのような考えが必要である思います。
それは、世界という側にたった合理的な考えであって、個人という単位で寄り添うということが自分にはできるのかどうかわかりません。
著者は、加害者の犯罪に手を染めてしまった過程を知っているだけに、加害者の気持ちに寄り添えているのかなと思います。
やはり、加害者に寄り添うためには、加害者と近い気持ちになる必要があるということでしょうか。
著者の辛い経験
著者自身も数年前まで、度々、自殺を考えていたようで、その死にたいけれど、死ねないというような、生々しい葛藤が「五章 僕のこと」に記されています。
著者自身は裕福な家庭に生まれ、東京大学を卒業している世間体的には、エリートであるにも関わらず、心に闇を抱えて生きてきたようです。
母も、父もの周りの人も、誰も悪くはない。ただ、ボタンを掛け違えただけ。
と、
自分を被害者というより、加害者になることを恐れていて、心が病み、犯罪を犯してしまった犯罪者と紙一重であると捉えていていて、犯罪加害者が受けるカウンセリングにも定期的に参加しているようです。
この章を読むと、著者の不安定な心が伝わります。
人生のどん底を味わった人にしか描けない描写もあり、非常に説得力のある章だと思います。
この本の後半にこの章があるのも、考えられているなと思いました。
まとめ
今回は、妹尾武治さんの「僕という心理実験」の感想を書きました。
1500文字程度では、本の一部しか伝えることは出来なかったのですが、著者の見ていた世界を見ることができる貴重な作品だと思います。
自殺まで考えた著者が、どのようにして生きてきたかは、今現在、辛くて辛くてたまらないと考えている人に、生き抜くヒントを与えてくれていると思います。
著者もそのような人に対して、メッセージを送っています。
また、そのように生きづらさを感じない人にとっても、人生の捉え方の1つを教えてくれる作品であるとも思います。
ぜひ、一度手に取って、著者からのメッセージを受け取って見てください。