BOOKKEEPING

生き心地の良い町

この本の概要

著者 岡 檀

副題 この自殺率の低さには理由がある

内容 自殺率の低い徳島県海部町を調査し、その理由を探る

この本を読むきっかけ

YouTubeのサトマイさんの番組でおすすめがあり、興味本位で読んでみたくなりました。

図書館で蔵書していたのと、予約数も少なかったので、読んでみる事にしました。

特段、自殺については知見等はない状態での読書です。

5つの自殺予防因子

自殺率の高い町と低い町(海部町)における、自殺危険因子を調べたところ、どちらの町にも等しく自殺危険因子が存在していた。

自殺危険因子とは、自殺の要因となるもの。内閣府の調査では、「病苦・健康問題」「生活苦・経済問題」が要因の約70%を占めている。

自殺率の低い町には自殺危険因子が少ないというわけではない。

であるならば、自殺率の低い町では、自殺を阻害する要因があるのではないかという仮説に立ち、著者が実際に海部町に滞在し、その要因を調査して書き上げられたのがこの本となる。

自殺予防因子 その1

多様性を容認する傾向が強い

海部町と自殺率の高い町では、人を自分物重視で見る傾向が強いことが書かれている。

簡単にいうと、同調圧力に屈さない体質と言える。

本書の中では、赤い羽根募金の事例が出されていた。

赤い羽根募金は、自分もした事がある。

募金をしたいから募金をしたのではなく、皆がしているから、仕方なくという感覚で募金をしていたように思える。

「ケチだと思われたくない。」とか、「優しくない。と思われたくない。」という感情が無意識に募金させていた。

しかし、海部町の人々はそうではない。

金額の大小関係なく、自分が募金をすることに納得しない限りは、募金に応じない。

役所の人間は、募金の集まらなさを嘆いていたほどだ。

つまりは、他人が募金したか否かは判断の材料ではないこと。

ここに、同調圧力が低いことが伺える。逆に言えば、他人の行動にそこまで興味がないとも言える。

また、アンケート調査から、排他的傾向が他の町より低く、多様性に理解のある住民が多いことも伺えた。

色々な人がいるんだぁ。で済ませられる器

多様性の需要は、自分の肯定につながる。

仮に、自分を否定されたとしても、「自分をこういう風に見る人もいるんだな」という考え方ができるようだ。

自分はそうは思わないけど、その人は違うように考えるんだな。ということを容易に受け入れる事ができる。

色々な人がいる。それはそれで、仕方ない。

と、大きな視点で物事を捉えられ、深くその事にとらわれなくなる。

自殺予防因子 その2

人物本位主義を貫いている。

海部町の人々は、職業上の地位や、学力、家柄や財力にとらわれないず、その人の問題解決能力や人柄を見て判断している。

自分を大きく見せるために使う、装飾に惑わされにくい。

人間観察能力に優れているのだと思われる。自殺予防因子その1にも関係してくるかと思われるが、同調圧力が低い分、自分で物事を判断する力が自然と養われているのではないだろうか。

この人物本位主義は、町に古くかある相互扶助組織の中でも独特の特徴を持たせている。

多くの相互扶助組織では、年功序列が敷かれていて、年長者からのしごきが少なからずあることが一般的であるというが、海部町には無いようだ。

年長者は、年長者というだけで威張らず、その下にいる者も、それだけで服従をしないという暗黙のルールがあるのだろう。

本来、年長者とは歳を取る過程で経験した貴重な経験を持っている。

その経験を下の者へ伝えるからこそ、そこの信頼の念が起こるのだと思う。

しかし、その根本を忘れ、年長者は敬うべき、敬られるべき存在という固定観念が先頭にきてしまい、お互いに、どの部分に敬意があるのかが、おざなりになってしまっている節があるのだと思う。

スイッチャーの存在

本書の中で、著者が「スイッチャー」と呼んでいる役割がある。

簡単に言えば、冷や水を入れる人。

誹謗中傷で炎上しているところに、同調せず、「自分はそう思わない」としっかりと持論を言える人の事だ。

このスイッチャーによって、火種は燃え上がらず、大ごとにはなることを防いでくれる。

これは、同調圧力に屈しない人間性によるところが大きいだろう。

自殺予防因子 その3

「どうせ自分なんて」と考えない

「自分のような人間に政府を動かす力はない」と思うか?というアンケートについて、海部町の住民は、自殺率が高い町と比べて高かった。

ただ、高かったのではなく、2倍近くも差があった。

この結果は、海部町の住人は「自己効力感」が高いということ。自己効力感とは、「自己信頼感」「有能感」という言葉に置き換えられるもの。

そして、海部町の住人は、行政に対してよく口出しをするらしい。

それは、本書の中では、「お上頼み」にしない傾向がある表現している。

自分に政府を変えられると信じているのであれば、当然、自分には力があると思っている。

となれば、行政への注文も多くなるだろう。しかし、それが、行政へ丸投げではなく、住民が主体的に行政に参加し、自らの行動を町を良くしていこう傾向にあるようだ。

一方、自殺率の高い町では、「お上頼み」の傾向が高かったようだ。

自分にはその力がないと感じるのであれば、力があるものへ信託することを選ぶというのは頷ける。

自己効力感が大事

自分には物事を変えられる力を持っていると感じられることが大事

それは前に進むための力になる。

逆に、自己効力感がない場合、受動的になってしまい、自分の物事を好転させるための一歩を踏み出せない。

自殺予防因子 その4

病は、市に出せ

海部町では、一般的に使われいる言葉で、

病=単なる病気に留まらず、家庭内の問題や私的な悩みなど、生きてゆくためのあらゆる問題

市=公の場

海部町の住民は、悩みを人に相談することを恥ずかしいを思わない人が多くいるようである。

一方、自殺率の高い町では、恥ずかしいを思う人が多かった。

この違いは、「病は、市に出せ」の考えが影響しているようで、なんでも相談しやすい環境が海部町にはありそうだ。

海部町にも、自殺率の高い町にも、助け合いの精神である、相互扶助は存在する。

決定的に違うのは、自殺率の高い町の人々は、「他人に迷惑を掛けられない。」という思いが強いことだ。

また、海部町の住人は、うつ傾向であることを、早期に周囲に相談し、早期に受診する傾向にある。

その数値は、精神科受診率が高さに出ている。

周囲に相談することで、受診を勧められ、受診するというパターンのようだ。そして、早期に受診するため、比較的に軽症であるという。

重症化しないことにより、うつ病での自殺者も少なくなっているのだろう。

心理的安全性

Googleが取り上げたことで有名になった「心理的安全性」と考え方が似ている。

忖度をせず、自分が正しいと思う意見を気兼ねなく言える風土を持つ海部町の住人と会議をしたら、きっと有意義な会議ができるのではないかと思ってしまった。

「人に迷惑を掛けていけない」が考えが無さすぎるのも困りものだが、過剰過ぎてもいけない。なんでもバランスが大事だということか。

自殺予防因子 その5

緩やかにつながる

海部町では、必要最低限のコミュニケーションは必要であるものの、固定的、強制的な繋がりは多くなさそうである。

それには、緩くつながるコミュニティが複数あることが背景にある。

コミュニティへの所属については、個人の自由が尊重されていて、人間関係の硬直化を防いでいるようだ。

このような風土には、海部町の歴史的背景が関係ありそうだと本書の中では推測している。

一人でないという感覚、そして、そのコミュニティへの所属に強制はない。嫌であれば出ていけばいいし、出て行っても他に所属できるところがあるというのは、大きな安心を与えているのだろう。

「性」と「業」を知る

著者は海部町の人々の特徴を、人間の「性(さが)」と「業(ごう)」をよく理解している。と表している。

性や業は、簡単に言うと、人間の特性や、人間の弱い部分などをよく理解している。と言うことであり、それは、人間をよく観察する海部町の文化が影響しているようだ。

本書の中では、海部町の観察は、監視ではなく、関心だと言う。

なかなかに、字面だけではニュアンスは伝わりにくいが、なんとなくわかる。

監視されているのは、窮屈だが、関心を持たれていることにはネガティブな感じは少ない。

そして、その関心は、個々の自分物のデータベースとなっていく。

これは、人物本位主義に繋がってくるものだろう。

人物を自分の価値観で観察し、他の同調を排除した自分だけのデータベース。

そのデータを判断基準にしているのだろう。

やはり、人間関係の構築には、人間の心理的な部分をよく理解する必要があるのだと感じた。

他人には興味はないと言って、他人に興味を示さない現代において、人間の性や業をリアルに学ぶ機会は相当に減っていると思う。

さらに、自分の特徴さえも考える時間がなくなっているように思える。

これからの現代人の人間関係の構築のためのヒントがここにあるのかもしれない。

幸せだとは思っていない

びっくりしたのが、自殺率の低い海部町の住人は、「幸せだと思っている」率は、比べた3町の中で最低だったことだ。

不幸→自殺という方程式で、幸せでない=不幸である。と思っていたが、そうではないらしい。

確かに、「幸せ」という感情は長続きしないものだ。

それは山頂のようなもので、いずれピークは過ぎる。

そのピークを過ぎる過程を不幸と感じる人がいるかもしれな。

そして、またそのピークへ登るために、行動するものの、うまくいかなければ、それは、「不幸」になり得る。

その点を知ってか、知らでか、海部町の人々は「幸せ」に疎くなっている。

逆説的に、「不幸への耐性を持っている」ことになる。

ブッダの教えも、「中庸」を説いているが、この考えに近い。

まとめ

人間関係の構築が難しいと感じる現代社会において、この本は、多くのヒントを与えてくれるものだと感じた。

ただし、これは、町全体がそのような風土であるから成立している部分もあり、自分一人が海部町の人々のように振る舞ったところで、人間関係の気苦労から解放されるかというとそうでは無い。

しかし、考え方として、非常に参考になる部分が多い。

いずれにしても、自分を知ること、他人を知ること、人間を知ること、から逃げてはいけないのだと感じさせられた1冊だった。