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この記事について
「何者かになりたい」と思ったことはないでしょうか。
私も40代になった頃から、そのように思うことがありました。
その過程で、「何者か」とは何者なのだろうか?とか、なぜそう思うのか?
など疑問が湧いてきたので考察します。
ミッドライフクライシス
中年期における心理的な転換点や危機のこと。
人生の折り返し地点に差し掛かることで、これまでの生き方や将来についての不安、後悔、または葛藤が生じる現象。
私とミッドライフクライシス
私の場合、40代を過ぎたあたりにいつの間にか、こんな感情を持っていました。
焦燥感というか、なんとなく「これでいいのかな?」という感情です。
子育ても手がかかる頃を過ぎ、自分の時間が増えたというか、子供に相手にされなくなって来たのも原因かと思っています。
人生を持て余すような、そんな感覚でした。
この時は、ミッドライフクライシスという言葉は聞いたことがなく、SNSでのコメントで初めて知りました。
まさか、自分がそのようなドツボにハマるとは思っていなかったこともあり、自分は対象外であると思い続けていました。
ですが、日に日に、その焦燥感が強まります。
でも、この焦燥感がなんなのか分からず、何をしていいのかもわからず、行き先を失った状態で毎日を過ごしていました。
そして、ある時、認めるようになりました。
ミッドライフクライシスにハマっていると。
ミッドライフクライシスと「何者かになりたい」
個人的な見解ですが、この「何者かになりたい」は、ミッドライフクライシスから来ているように思います。
人生このままでいいのか?という問いから、このままではいけないという答え。
しかし、このままではいけないということはわかっていながらも、進むべき道がわからない状態。
これが、「何者かになりたい」の正体ではないかと思います。
ゲームと人生とミッドライフクライシス
生まれてから、40代くらいまでは、なんとなく大まかに決められた道があって、その道に沿って必死に進んでいったという感覚です。
40代頃になると、概ね、人生のイベントが一段落します。
例えば、学業からの卒業、就職、結婚、出産、マイホームの購入など。
その目標に向かって、それを一つ一つクリアするように人生を生きて来ました。
言い換えれば、ゲームをクリアしたようなものです。
ゲームをクリアしたら、次のゲームで遊べばいいのですが、人生はゲームのようには変えられません。
クリアしたゲームの中に取り残された主人公は、一体何をすればいいのでしょうか。
これが、ミッドライフクライシスの正体だと思います。
必要なのは人生の再定義
ここでヒントになるのは、ゲームをクリア後にやりこんでいる人です。
例えば、激レアアイテムを集めまくるとか、レベルをマックスにしてみるとか、最短時間でクリアしてみるなど、1つのゲームを多数の視点で楽しんでいる人がいます。
人生をゲームだとするならば、このやり込み要素が必要なのだと思います。
この人生というゲームの中で、何について深掘りしていくのか。
それを見つけることが、ミッドライフクライシスを抜け出すために必要なものではないでしょうか。
そして、やり込む対象が見つかり、やりこんでいった過程でいつの間にか、「何者かに」なっているのではないかと思います。
「何者か」にはいつの間にかなっている
「何者かになること」が目的になっている段階では決してそこには到達しないでしょう。
今現在、「何者か」になり得ている人は、きっと、「何者か」を目指していたのではないかと思います。
打ち込める対象を見つけて、それに没頭した結果であると思います。
自分が望むも望まぬも関係なく、いつの間にか、「何者か」になっているのだと思います。
没頭するものを見つけることこそが、「人生」
答えは出ました。
何かに没頭すること。
でも、これを選ぶのが最大に難しい問題です。
でも、これを考えることこそ、もしかしたら「人生」なのかもしれないと最近は思っています。
それに真剣に悩み、時には失敗し、振り出しに戻ったり。
それら全てが「人生」なのではないかと思います。
答えは初めから知っていた
アインシュタインの残した言葉に以下のような名言があります。
「狂気とは、同じことを繰り返しながら異なる結果を期待することである。」
昨日と同じ生活を繰り返し、「何者か」になろうとするのは、狂気であると言い換えられると思います。
昨日と同じ生活は、昨日までの自分を作っているもの。
その日々で作られた自分を「何者か」と言えないのならば、その日々では「何者か」になることは不可能です。
よく言われる言葉ですが、失敗を恐れず、チャレンジするしかないんです。
やはり、ここからは逃げられないようです。
まとめ
今回は、なぜ「何者か」になりたいと思うのかについて、自分なりに考察してみました。
次回は、なぜ「何者か」になりたいと思わされているのだろうか?という環境面からの考察をしてみたいと思っています。
最後までお付き合い来ただきありがとうございます。
それでは、また次の記事で。