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この記事について
2023年7月17日(月)人生で初の富士登山をしてきた時の記録です。
貴重な経験だったので忘れないように、その時の感情とか色々書きます。
富士登山を2023年の目標にした理由
40代になってから、毎年、何個か目標を立てて、それを達成していくことをしています。
その中に、富士登山はありました。
でも、片道5時間の登山に魅力は感じず、他の目標を優先していました。
ですが、将来的に出来なくなりそうな目標を優先した方が良いということに気づき、できる限り低力のあるうちに富士登山をしておかなければ、登りたくと思った時には登れないということになると思い、なるべく早い時ということで、今年の目標としました。
生きているうちに一度は登ってみたい。
富士登山をしてみたい、シンプルな理由です。
50代になってからでは、もしかしたら登れないかもしれない。
その時にきっと後悔するんだろうな。と考えたら、今登るしかないと思いました。
登山を終えての感想
登りも下りも、本当に辛く、休憩毎にここで「引き返したい」「このままずっと休んでいたい」など思いました。
でも、友人が半ば強制的に引っ張ってくれたので登り切ることが出来ました。
その日の天気も良く、山頂では本当に素晴らしい景色を見ることが出来ました。
特に、眼下に広がる雲海は、生まれて初めて見る光景で、飛行機から見る雲とはまた違って、なんだか不思議な光景でした。
雲の水平線がはっきりと見えて、凄く幻想的な景色でした。
これを見ることが出来ただけでも登った価値があったなと思います。
登山開始から6号目まで
忘れないように、なるべく、その時感じたことを書いていきます。
今回は、須走ルートという登山ルートで頂上を目指しました。
他にも3種類のルートがあるようですが、登山初心者なので友人に連れられるがままです。
麓から、5合目まではシャトルバスで向かいます。往復2,100円でした。
始発の5時半のバスに乗り、6時に5合目に到着し、登山開始です。
入山料として1,000円寄付しました。その時に、受付の人から富士山世界文化遺産登録10周年の刻印されたストラップを貰いました。
さぁ、ここから始まるぞ。とこの時は凄くワクワクした気分でした。
5合目の時点ですでに標高2,000mなので、頂上の3,776mまで、およそ、1,800m弱を登ります。
5合目から6合目まで、およそ1時間程度で到着しました。
森林の中を通る登山道だったので鳥の囀りや木々を見ながらリラックスして登れたと思います。
山道は少し、岩が多く、階段状になっているので膝に負担のかかる道でした。
でも、まだ序盤だったので疲れも無く6合目の山小屋(長田山荘)ベンチで小休憩しました。
ここで、食べたのが携行食で持っていった「一口黒棒」です。
程よい甘さで、一口サイズというのもいいです。糖分も取れるので自分的にはかなり美味しく食べられました。
それと、登り始めは気温が高かったので、汗をかなりかきました。
その塩分補給のために、塩分チャージタブレットも食べました。
たくさん汗をかいた体に塩気はとても美味しく感じました。
6合目から7合目
まだ、森林の中を登る道で比較的楽しんで登ることが出来ていました。
道的には6合目とさほど変わらずです。体力的には若干疲れてきたかなという感じです。
6合目に到着して、次の山小屋(瀬戸館)で休憩をしました。てっきり、そこが7合目かと思は、「本6合目」で、6.5合目みたいな感じらしく、7合目までは、そこからまだ1時間程度、登らなければいけないという現実に、「大丈夫かな」と思いました。
ベンチに置いてある「ひよこ」を眺め、休憩もほどほどに、7合目を目指して登山再開。
登りながら振り返ると、三日月のような形をした山中湖が見えました。一般的には鯨に見えるみたいですね。
7合目から8合目
何とか、7合目(太陽館)まで到着。
ここで、少し異変が。右膝に若干の痛みが。痛み的には何かにぶつけた後の痛みで、膝を上げる動作で痛みを感じます。
おそらく、右足ばかりを酷使したせいなのかな?と思います。
この時は、痛みというより違和感という感じだったので様子を見ながら登ることにしました。
7合目で標高3,000m弱なので、酸素が薄く、少し登るだけで息切れをします。
数歩登るだけで、心拍数が上がっていることに気づきます。
一歩上る毎に心音がドキドキと早く動いていました。
全然大した動きをしていないので、普段どうり動いてしまいそうですが、呼吸を整えながらゆっくり歩みを進めることに徹しました。
この時にアップルウオッチの心拍計が役立ちました。特に激しく動いていなのに、心拍数は150を超えていてびっくり。立ち止まって、心拍が落ち着くのを待ちました。
本7合目(見晴館)でまた小休憩。このくらいから、腰は重くなり、降ろした腰を上げるのが億劫になってきました。
ここの標高は3,200mなので、残り600m弱登れば頂上です。
そう考えると、何だかいけそうな気がします。
それを狙って序盤を長くしたのかな?なんて考えてしまいます。
この辺りから、雲海が綺麗に見えるようになりました。
山小屋ではキャタピラが出動し、物資をさらに上の山小屋に運ぶ作業をしてました。
いつしか、登山道には樹木は無くなり、砂利道をひたすら登るという道へ変わります。
その道を一歩一歩、呼吸を整えることの集中しながら歩みを進めました。
登山に慣れている友人は、ひょいひょいと登っていきます。
このくらいから、一緒のペースで登ることを諦め、マイペースに登ることに徹しました。
8合目(下江戸屋)に到着。
山小屋の前にちょこっとだけ、ベンチが置いてあります。
ここで、小休憩をして、息を整えます。携行食の黒棒やカロリーメイトみたいなやつも食べて、元気を出します。食欲はあったので、この時は疲れてはいたものの、まだ元気はあったと思います。
足の違和感はありましたが、ゆっくり歩けばそこまで問題がないような状態でした。
8合目から9合目
8合目に到着すると、頂上が目視できるくらいになります。
ここから、吉田ルートと須走ルートが合流します。
少し、人も多くなり始めます。
3連休の最終日だったので、そこまで混雑はしていませんでしたが、合流前と比べるとだいぶ混雑して印象です。
合流前までは、人がいても自分の目先に1人か2人程度でした。
本8合目から、8合五寸まで約20分程度でしたが、もうだいぶ疲れてて、疲労感も強く、あまり景色とか、どうやって登ったのか覚えてません。
ただ、息が上がりそうになる前に立ち止まって息を整えることだけはしっかり守りました。
8合五寸(御来光館)で、少し座って休憩。ここでも、黒棒を食べてエネルギー補給。
疲れすぎてて、山小屋の写真を撮り忘れてます。自分では休憩毎に撮っていたつもりなんでうけど。
後もう少しで頂上。頂上が見えていなければ、心折れてました。きっと。
8合五寸から9合目までは約30分。
大体、節目のところには山小屋があって、それを目指して歩くのですが、9合目は何故か見えませんでした。
あれ?って思っていましたが、疲れすぎて余計なことも考えられず、ひたすら、一歩一歩ゆっくり歩いてました。
9合目までが本当に辛かったのを覚えてます。
ようやく9合目に着くと、山小屋はなく、元山小屋だと思われる残骸だけがありました。
ベンチとかは特になく、その辺の地べたに座って休憩しました。
他の登山者の疲れもピークなのか、横になって寝てる人も見られました。
この時には自分も限界を超えていたと思います。
降ろしたザックを背負う時、あぁ。思い。辛い。とネガティブな感情に支配されますが、「後もう一踏ん張りだ」そう心で呟き、9合目を後にしました。
9合目から頂上
9合目を出ると、そこから頂上までは山小屋はありません。
約30分程、登り続けます。
だんだん近づいてくる頂上。
後もう少しで終わる。そう思いながら、歩みを進めます。
でも、今考えると、下山のこと何も考えてないですよね。
その時、下山のことを考えたら恐らく足が動かなかったかもしれません。
余計なことを考えられなくて良かったと思います。
ゆっくりではあるものの、着実に頂上へ近づき、ようやく頂上で待つ狛犬が見えました。
頂上です。
狛犬の横を抜け、鳥居をくぐり、頂上へ到達しました。
頂上では、たくさんの人が笑顔で休憩していました。
登頂を祝してビールで乾杯している人もいて、自分もようやく辿り着いたんだな。と思えました。
登る前は、もっと感動するのかと思いましたが、実際は、「終わった」という地味な感想で、人生観が変わるとか、そんな感じは特にありませんでした。
もう、とっくに限界を超えていて、ただただ、ゆっくり休みたいという思いに支配されていたんだと思います。
これで終わると思っていたのですが、友人から、「まだ、もう少し登るよ」と、指差す方向に何やら建物らしきものが。
「あそこが本当の山頂だよ」と。
全て使い切っていたので、自分はここでお終いにしたいと言いましたが、「後ちょっとだから」と、半ば強引に連れて行かれました。
後々考えると、無事に帰ってこれたから良かったですが、良い判断では無かった気がします。
もし、何かあったら、色々な人に迷惑をかけてたなと、反省してます。
ここで、持ってきた、おにぎり2つを食べて、トイレに行ってと、少し長めの休憩をとりました。
頂上のトイレは、300円寄付して使います。
男女一緒のトイレでした。
頂上からお鉢巡り
これが、本当のラストということで、富士山の火口を一回りする、お鉢巡りのために出発。
ここからは、登るというより歩くという感じの道です。
進行方向の右側に富士山の火口が見えます。
いつもは遠くから形だけを見ている富士山の火口だと思うと不思議でした。
膝も痛みが増し、早くは歩けなかったので、ここでもゆっくり歩くことに専任しました。
頭痛の種も頭に感じ、そろそろ頭痛が襲ってきそうだという恐怖を抱えながら歩きました。
お鉢巡りの途中で、本当の頂上「剣ヶ峰の石碑」辿り着きました。
そこで写真を撮りたい登山者が20人ぐらい並んでいました。
友人は「ここまで来て並びたくない」と言って通り過ぎようとしていましたが、自分は、「ここまで来たからこそ、並ぶんだろ」と言って、写真を撮ることを強要しました。
ここの判断は、間違ってないと思います。もう2度とこないかもしれない。これ無いかもしれない。と考えたら、記念に写真を撮っておくべきだと考えました。
列の最後尾に並び、順番を待ちます。
自分たちの番になり、後ろに並んでいる人にシャッターを押してもらいました。この写真が富士登山で最初で最後の友人との2ショット写真となりました。
石碑を後にして直ぐのところに、少し岩場が迫り出した場所を見つけました。
その下には雲海が広がり、岩場の先に立つと、自分が雲の上にいるような感覚になりました。
富士登山で一番見入った景色でした。
剣ヶ峰の石碑よりも、頂上に来たんだなと感じた場所でした。
頂上から下山
お鉢巡りを終え、頂上の山小屋に戻ってきました。
再度、ここで休憩をして、下山の準備をします。
全てを終えて、気が抜けたのか、だんだんと頭痛が酷くなってきました。
降りるという気の遠くなる行程に絶望しました。
友人は、「後は降りるだけ、頭痛も標高が下がれば治るよ」と軽い感じ。
でも、自分では気づいてました。これは高山病ではなく、持病の偏頭痛ではないかと。
自分の偏頭痛は極度に疲れた時など、時々起きます。これが起こると、薬を飲んでもあまり良くならず、しばらく寝ないと良くならないのです。
それと、合わせるように右足の関節も激痛になり、下山できるか不安でした。
でも降りるしかないので、下山を始めます。
登りではないので息が上がったりはしないのですが、頭痛の影響で本当にゆっくりしか歩けませんでした。
顔を前に向けて、目を開けると頭痛が酷くなるので、足元を見ながら、薄目でゆっくり歩くことが限界でした。
ゆっくりですが、着実に下山します。
下山道は砂利道で、すごく滑ります。
何人も滑って転がっていくのを目にしました。
自分のその一人で、一回尻もちをつきましたが、ザックのお陰で背中を打つことはなかったです。ザックに感謝。
自分は、後で調べて知ったのですが、須走ルートの7合目からの下山道は「砂走り」と言われていて、足首まで埋まるくらいの砂利道です。
登山者の何人かは、そこを駆け降りて行きました。
元気にキャッキャと駆け降りていくカップルなどもいて、限界を超えた自分には、絶対出来ないなと思いました。
この砂走りに必須のアイテムはゲイターです。
これは、靴に砂が入り込まないようにするカバーがなのですが、こんなに砂利が深いとは想像もしていなかったので用意しませんでした。
この登山で一番持っていけば良かったと後悔したアイテムです。
これが無いせいで、一歩踏み込むごとに靴の中に砂が入り込みます。小石も入り込んで、疲れている体を更に疲れさせます。不愉快の極みでした。
でも、腰を下ろして、小石を靴から取る作業も体力を使うので、我慢して下山しました。
下山道は、頭痛、膝痛でほとんど写真を撮りませんでした。というより、撮れませんでした。そのくらい疲れていました。
歩みが遅く、多くの人に抜かれて行きます。
普通の人の半分くらいのスピードくらいで歩いていたかと思います。
友人は、慣れているので直ぐに自分の視界から消えました。
一歩一歩、歩みを進めて、なんとか下山できた時は安堵感で一杯になりました。
バスを待つまでの間、ベンチで横になって休みました。
もう、満身創痍。
何にも残ってません。
本当に良く、戻ってこれたなと、自分で自分を褒めたいと思います。
富士登山で思ったこと
安易に登りたいと思い、登りました。
結果的には登りきり、降りきれました。
少し友人には迷惑をかけましたが、他の人には迷惑をかけずに終えることができましたが、一歩間違えれば、危険な状態であったと思います。
その辺を考慮せずに登ったことは反省しなければいきません。
もう少し、練習や事前の勉強をしてから登るべき山だなと思います。
登ってから、降りるまで、一言でいれば、自分には「修行」でした。
そして、「人生」と重なる部分があるとも思います。
登山していると、いろいろな人に出会います。
駆け上がる人、自分のようにゆっくりマイペースな人、高山病でぐったりとしている人、道を譲る人、人をかき分けて登る人など、本当に多くの人がいます。
この色々な人の登山の意味はそれぞれ違うと思います。その人、独自の思いで登ってい流と思います。
でも、目指す場所は一緒です。
この辺りが、「人生」と似ているなと思います。
「人生」を生きる意味は、人それぞれ違います。なんのために生きるのか、意味さえ考えない人もいるかもしれません。でも、全ての人が向かう(向かっている)ところは、「死」という「人生の頂上」、「人生の終着点」です。
この富士登山が、自分の人生の一部になったことを心から感謝したいと思います。
本当にお疲れ様でした。