この記事について
雑に今日考えたこと、したことを備忘のために記入していきます。
トレーニング
YouTube動画で自重筋トレ
朝トレとして、この1本5分程度の動画を3本で約15分トレーニングしました。
今日は主に胸トレ曜日なので胸中心です。
この腕立て、途中で膝付き腕立ても入ってくるのですが、最初は膝つきなんていらないでしょ。って舐めてかかったら痛い目に遭いました。
無茶苦茶、胸に効きます。5分間で汗だくになりました。
ここ最近、苦手下半身トレーニングとして、このスクワット動画を毎日やるようにしています。
スクワットキープ40秒から5秒休憩のバウンドスクワット40秒が鬼のように辛いです。終わった時の達成感がかなりあります。
5分間でサクッと終わるので、辛いのに、あっという間に終わる不思議な動画です。
胸の日なので、もう1本胸トレ動画です。
初級、中級、上級と3種類のやり方を常に提案してくれるので、辛くなったら負荷を落としてっていうやり方もできる動画です。
この3種やり終えた後には、汗が滴り落ちるほど発汗しました。
5kmジョグ
筋トレ後、水分を摂取したら、海まで往復5kmのジョグ
本当に軽く、息が上がる程度のスピードでゆっくりジョグしてきました。
波は高く、海水浴は子供連れだと少し危ないかな。
皮膚を焦がすような日差しが辛かったので、5分程度、滞在ですぐに帰りました。
片道、ジョグで20分程度でここに来れる環境が幸せすぎます。
今読んでいる本
オーディブル
今聴いているのは、
平野啓一郎著
私とは何か 〜「個人」から「分人」へ〜
です。
少しまねに、「空白を満たしなさい」を読んで、「分人」という考え方に興味を持ったので、こちらがオーディブルのラインナップに登場したことで飛びつきました。
今日まで聴いて感じたこと
この中で、個人という単位がそもそも、大きすぎる。といったフレーズが出てきました。
「個人」という単位が大きすぎる。なんて考えもしなかったので衝撃でした。
でも、考えてみれば、「個人」が最小の単位かどうかなんて考えたこともなく、最小だと教え込まれていただけでした。
そこで、この本では、その「個人」よりも小さい単位の「分人」でと耐えた方が何かと都合が良いのではないか?ということです。
分人
「空白を満たしなさい」で出てきた概念ですが、自分的にはすごく腑に落ちる考え方です。
今の考え方の主流としては、相手によって、本当の自分を偽って、本当の自分が仮面を被るような感じで、自分という「個人」を使い分けている。
こんなイメージではないでしょうか?
会社では会社の仮面、家では家の中の仮面、友人とは友人の・・・・。
この考え方も1点を除いては頷けます。1点を除いては。
本当の自分
その1点とは?
「本当の自分」です。
「本当の自分」って誰が知っているのでしょうか?
そして、「本当の自分」って一体どんな性格の自分人物なんでしょうか?
少なくとも、自分は「本当の自分」を知りません。
よくよく考えたら、「本当の自分」思っていいた自分は、自分の都合の良いように作られた理想の自分だったりしました。
カッコ悪い自分を見て、
こんなの本当の自分ではない。とか思いますが、これってただ、単に自分とそのカッコ悪い自分をリンクさせたくないがための自己防衛のような気がします。
「本当の自分」って、人間が精神的に安定するために作り上げた、避難所的なものなんだと思います。
その避難所を、ただ避難所として使っていれば問題ないのですが、その避難所を使えば使うほど気になるようになるんです。
「本当の自分」ってなんだ?って。
そうなると、曖昧模糊な「本当の自分」探し迷路にはまるんです。
そんな時に役に立つのが、この「分人」という考え方なんだと思います。
分人とは
では、「分人」って何?ってことですが、簡単に言えば、「本当の自分」がいない状態のことです。
それまでは、「本当の自分」という主人格がいて、その主人格が色々なシチュエーションで、仮面をつけて振る舞う。という感じでしたが、「分人」とは、そもそも仮面ではなく、その仮面をつけているような状態も嘘偽りのない「自分」とします。
環境や、相手によって影響を受けた自分が、自分の中に沢山いる。
こんな感じのイメージです。
それの総合体が「個人」ってことになるんですかね。
自分はこの考え方にすごく共感しました。
ある面では、すごく嫌な自分が出てきたりします。心が安定している時に考えると、その自分物と自分を同一視したくはないのですが、この嫌な自分も、そこでの状況や、接している相手から影響を受けた紛れもない自分の中の1人なんです。
大きく違うのは、主人格がいないことによって、嫌な自分一人いたからといって、全てがその人格に染まるわけでないということです。
多くの自分の中に、1人だけ嫌な自分がいたとします。
それ以外は、普通の自分や、良い自分だとします。
そしたら、全体的に見れば、その1点の曇りなど、気にならないし、気にしなければいいんですよね。
全体が黒に染まるほど、自分の中に、その黒い自分が多いのならば、気にする必要がありますが、色が変わるほど、多くないのであれば放っていおけば良いのだと思います。
分人が多い方が魅力的
こういう考え方に立つと、
色々な人あったり、色々な場所へ旅をしたり、経験したりして、多くの「分人」を持っている人って、魅力的に感じますよね。
自分の中に、違った自分が沢山いる。
沢山いれば沢山いるほど、1つの「分人」が占める「個人」への影響は少なくなるので、なんか、とても生きやすくないですかね?
まとめ
令和4年8月11日の行動履歴として雑なことを書いてみました。
ちょっと、ちょっと書評的になってしまったので反省です。
ブログを書くことのハードルが毎回高かったので、少し気楽に、その日感じたことを、気ままに書いていこうと思います。
見てくれた人、ありがとうございました。
明日も続けられるといいな。