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この記事について
この記事は「完訳 7つの習慣 人格主義の回復」スティーブン・R・コヴィー著 を呼んで感じたことを書いています。
体の成長が必要なように、心にも栄養が必要です。
この本は、その、心の栄養となる良本の1冊だと思います。
今回は
第一部 パラダイムと原則 インサイド・アウト
を呼んだ感想です。
ここは、「7つの習慣」がなぜ必要なのか、が書かれている大事な部分です。
これを読むことで、「7つの習慣」に興味が湧くと思います。
7つの習慣とは
人生を効果的により良く生きるための基本原則をわかりやすく具体的に形にしたものです。
そして、この7つの習慣は人の「優れた人格形成(第一の偉大さ)」の基礎となるとしています。
この7つの習慣を備えた「優れた人格」を備えていなければ、豊かな人生を過ごすことは出来ません。
原則ってなんなの?
この7つの習慣には「原則」という言葉が多く出てきます。
これをまず理解しない事には理解が進みません。
でも、抽象的に書かれていて、自分ではいまいち理解ができていないところではありますが、一応、自分の中で答えを出しました。
この本の1節に
原則の定義、実行の方法については議論があるにしても、人は生まれながらにして原則の存在を知り、意識しているのである
完訳 7つの習慣 スティーブン・R・コヴィー
という文があります。
原則=物事のあるべき姿=道理 こんな感じでどうだろうか?と考えました。
物事の道理や、道徳って、なんとなく自分の中にありますよね。善悪の判断だったり、本当はこれをやるべきなんだけど・・・。って迷う時とかにチラつく「本当はこうするべき」という軸。
このことを原則と呼んでいるのだと考えています。
この本の中に、原則とパラダイムという言葉が沢山出てくるのですが、
著者は、原則とパラダイム(物事の見方)を
- 原則を「現実の場所」
- パラダイムを「地図」
と表現しています。
つまり、今いる場所がどこかわからない時、人は地図を見ます。その地図が正しいものだと思い込んでいる場合、その地図が正しい地図でなかった場合でも、その地図に従い道を進んでしまいます。
全然、違う場所を示している地図であっても、それを正しいと思い込んでいると、その地図は、その人にとって正しい地図になってしまいます。
ですが、現実と地図がズレているので、その人は目的地には一向に辿り着くことは出来ません。
つまり、パラダイムが正しくないと、正しい行動だと思ってした行動も、実は間違った行動になってしまうよ。と言っています。
なので、この「地図」と「現実の場所」のズレを無くすためにも、自分の「地図=パラダイム」と「現実の場所=原則」にずれがある事を認識し、「地図=パラダイム」を「現実の場所=原則」に近づける作業をしなければならないのです。
しかし、この自分の内心に正しい「地図=パラダイム」を備えようとするためには、パラダイムが「人格主義」の影響を受ける必要があるのですが、現代は「個人主義」であるため難しいようです。
個人主義と人格主義
また、聞き慣れない単語、「人格主義」「個人主義」が出て来ましたね。
少し、定義等を整理してみます。
この本で説いているのは、人格主義こそ、人間を成長させるとしています。
実りのある人生には、それを支える基本的な原則があり、それらの原則を体得し、自分自身の人格に取り入れ内面化させて初めて、真の成功、永続的な幸福が得られる
完訳 7つの習慣 スティーブン・R・コヴィー
しかし、現代は個人主義が主流となっていて、人間としての本当の成長ができていない。と警告しています。
人格主義
人間には、人間として生きるための原則が存在するという考え方です。
この原則は普遍なもので、誰に対しても、どんな状況でも応用して使える原則です。
簡単に言えば、「道理」と訳せるのではないかと考えました。
この本では、誠意、謙虚、誠実、勇気、正義、忍耐、勤勉、質素、節制、黄金律などを列挙しています。
まさに、「人間こうであるべき」という行動の羅列ですね。
このような、基本的な原則を自分の行動規範にすることが成功への道であるとしています。
自分の内心が行動を決定付けるため、これを「インサイド・アウト」といいます。
内から外
これが大事なんです。
個人主義
一方、個人主義とは、内面の原則に従うのではなく、他者との関係に重きを置いて行動することです。
人格主義は自分の内心の原則から行動を選択しますが、個人主義は、「誰か」「何か」の反応を報酬に行動を選びます。規範(原則)を必要としていないのです。
小手先のテクニックのようなものと表現されています。
自分の本質は変わらないのに、そうあるように振る舞う。
内側から発するものではなく、あくまで外側からの影響から選択された行動という事になります。
「誠実」でありたいけれど、損をしてしまうから、誠実に行動しない。とか、「勇気」をもって行動したいけど、怖いからできない。このように、こうあるべきだとわかっていながら、外側からの影響で行動を決めてしまう事を続けると、その行動が自分を規定するようになります。
これは、人格主義が「インサイド・アウト」だったのとは逆に、自分は「勇気」出して行動できなかった=「臆病」というレッテルを貼り、行動が自分の内心影響を与える「アウトサイド・イン」になっています。
現代は個人主義が蔓延している
そして、現代は、この個人主義が蔓延しています。
確かに、「こうするべき」という選択肢があったとしても、必ずしもそれを選択はしませんね。
その時の状況によって決めています。
これは、自分の原則(内心)から選ばれた行動ではない、外側の反応を選択の拠り所としています。
原則を拠り所にした「インサイド・アウト」の行動はいわば、信念の行動とも言えるでしょう。しかし、「アウトサイド・イン」は、移ろいやすい行動となります。
そして、歴史的に見て、成功者に「アウト・サイドイン」はいないようです。
1つ注意が必要ですが、このような、個人主義的な外側の反応を考慮して行動を選択することは一概に悪いものではありません。ただ、内面がない状態でテクニックだけ磨くことが空虚であるとしています。
内面を整え、新年のためにテクニックを使え。ということですね。
順番が大事ということです。
態度や行動を決める色眼鏡=パラダイム
ここまで見てきた、「人格主義」も「個人主義」も社会的パラダイムの1つです。
「パラダイム」とは、簡単に言うと、「物事の見方や考え方」です。
色眼鏡と言っても良いですね。
例えば、「公共の場で、赤ちゃんが大泣きしている」という状況があるとします。
そこで以下のように考えられると思います。
- 自分が子供が嫌いな場合、「うるさい。早く泣き止ませろ」
- 自分に同じ年齢の子供がいて状況を理解出来る場合、「大変そうだな。何かできることはないだろうか」
- 自分が学生で勉強している場合「集中できない。他へ移動しよう」
上記3つ以外にも無数に考え方はあると思います。
どうでしょうか。「公共の場で、赤ちゃんが大泣きしている」という同じ状況であるにもかかわらず、自分の持っている条件、心情等で考え方や行動が変わってしまうのです。
この物事見方を決める色眼鏡を「パラダイム」といいます。
この場合、子供が嫌いな色眼鏡、子育て世代の色眼鏡、学生の色眼鏡の3種類の色眼鏡(パラダイム)から物事が見られています。
このパラダイムは、世の中に存在する、ありとあらゆる環境などから無意識に影響を受け形成されていきます。
そして、現代は「個人主義」が蔓延しているため、自分の「パラダイム」は知らず知らずのうちに「個人主義」の影響を色濃く受けているのです。
つまり、現代社会は、個人主義で行動することが「正義」となっているということです。
個人主義の欠点
態度や行動はこの「パラダイム」に依存します。
色眼鏡を通して見えたものがその人の世界であり、その色眼鏡を通したものを見て行動が引き起こされます。
ということは、色眼鏡(パラダイム)がどういうものかで、行動が変化するということです。
この色眼鏡(パラダイム)が人格主義の影響を強く受けていたなら、その行動は原則=道理に近いものになります。上記の赤ちゃんが泣いている例であれば、どういう行動が道徳的に正しい行動か?という問いには、多くの人が同じ答えになると思います。
しかし、個人主義が色濃く影響与えている現代の色眼鏡(パラダイム)では、行動は外側からの反応で決まるため、同じ事象があったとしても、外側の反応が変われば行動も変わってしまいます。上記の例であれば、無視をしたり、文句を言ったり、手助けしたりと行動が変わります。
簡単に言えば2面生があるということです。
また、個人主義の影響を受けたパラダイムの場合、内側からでた行動でないため、自分のした行動に責任を持てなくなる傾向にあります。
信念を持った行動ではないため、自分の失敗を認めず他人や環境のせいにしたりする傾向になります。
そして、2面生のある人は信頼され難いです。
これでは、実りのある豊かな人生は訪れませんね。
これが、個人主義の欠点です。
なんか、痛いほど良くわかります。自分の失敗を他人や環境のせいにしがちです。
パラダイムシフト
それでは、実りのある豊かな人生をおくるには、色眼鏡(パラダイム)を掛け替える必要があります。
これを「パラダイムシフト」といいます。
人格主義の影響を受けたパラダイムに変えること。
パラダイムシフトを起こすに方法ですが、
- 自分のパラダイムをよく知ること
- 原則へとパラダイムを近づける
- 他人のパラダイムを理解する努力をする
自分のパラダイムを良く知る
人は自分が色眼鏡(パラダイム)をかけて生活していることを中々理解できません。
その色眼鏡(パラダイム)で見えている世界が、その人の世界そのもの、だと思っています。
ですが、パラダイムシフトを起こすには、その色眼鏡を掛け替える作業なので、色眼鏡をしているという認識をしなければいけません。
見えている世界が「色眼鏡から見ている世界」だという事を認識することが必要なのです。
認識できたら、その色眼鏡(パラダイム)を通して見える世界にどんな癖があるのかを良く観察します。
パラダイムを原則へ近づける
そして、「実際の世界=原則」と自分の「色眼鏡を通して見える世界=パラダイム」との差を理解しなければいけません。
自分の行動と道理に沿った行動の違い
物事の道理と自分の行動のズレ
これを認識します。
そうすることで、自分の行動の結果を自分の責任として捉えるられるようになります。
他人のパラダイムを理解する努力をする
自分のパラダイムと原則が理解できると、他人のパラダイムを理解する余裕が生まれます。
他人から見えている世界がどういう世界なのか?ということを想像できます。
すると、自分視点ではない、新しい視点が見えるようになります。
そうなると、そこには、自分視点(古いパラダイム)と自分視点+相手視点(新しいパラダイム)が生まれます。
こうして、パラダイムシフトが起こっていくのです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は「7つの習慣」を読む上で理解しておきたい、原則と人格主義とパラダイムについて書いてみました。
自分もまだまだ、理解が足らず、間違った捉え方をしているかもしれません。
間違え、気になる事等ある場合は、ご指摘ください。
自分がこれを書いていて、疑問点が湧いて来ました。
もし、仮に原則の影響をうける「人格主義」が主流となり、人々に「人格主義的パラダイム」が備わった場合、行動に多様性が失われる気がします。
原則は普遍であるので、皆がその事象に対し同じ行動を選択すると思うのです。
多様性が良しとされるパラダイムで生きているので、それが無くなるということに多少の抵抗感があるのです。
ただ、多様性が失われたとしても、考える限り、原則に従った行動が選択されれば、世の中は「濁りのない透き通った世界」になるんだろうな。と思うので問題はなさそうですが。
アメリカ建国から50年間くらいは「人格主義」であり、その後150年間は「個人主義」になってしまったと著者は嘆いています。
自分的には、この「人格主義」の正直者が正直であるが故に食い物にされ始め、徐々に騙されないように、自分を守るために「個人主義」に移ったのではないのでしょうか?
原則に従う正直者の行動は良くも悪くもわかり易いですよね。
逆に言えば、騙し易いということだと思います。
原則に従いたいけど、食い物にされたくない。そんな時、一体どうすれば良いのか。
とても難しいですね。
次回も「7つの習慣」について書いていこうと思います。
また次回の記事で。