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この記事について
毎日がつまらないと思った時に読んで欲しい人生を変えるためのヒントの後編です。
タイトルのとおり、代わり映えのしない毎日をどうにかしたいと考えている人に読んで欲しい記事です。
自分もその一人でした。
何かしたいけど、何をしたら良いかわからない。
そこから抜けだすヒントをこの記事から見つけてください。
待遇の良い奴隷のような生活
【全編】で書いたように自分の生活を「乾いた人生」「塗られていない塗り絵」と表現しまいした。
もっと具体的に表現すると「待遇の良い奴隷」とも表現できると思います。
平日は、朝起きて、仕事へ行き、終わったら家に帰って、寝る。
休日は、土日の2日間、特に予定もなく、バスケの練習があれば、それに行く。
という生活の繰り返し。
7日間のうち、2日間の自由と、平日仕事後の数時間という限られた自由が許された、奴隷のような生活だなぁ。と最近考えるようになりました。
奴隷は奴隷でも、奴隷の中でも最上級の奴隷ではあるとは思いますが。
見えない鎖に繋がれている。
そんなように感じます。
自分の人生を客観的に見れる視点
こんな、自分の人生に悲観的なことを書いてはいるのですが、実は、その視点こそ自分は重要だと思っています。
なぜなら、今までは、そう思うことすらなく、その生活が普通であったからです。それが当然だと思っていたからです。
でも、何かに飢えているの感じがあるのですが、それを考えようともしませんでした。というより、人生を考えるという発想すらなかったのです。
きっかけがなかったら、この自分の人生を深く考えるという行動をせず、ただ、ただ生活して歳を取っていくという人生を過ごしていたと思います。
きっかけは、筋トレ
どうして、こういう思考になったか?という、きっかけは、今考えてみると、ダイエットと筋トレだったのではないかと考えています。
ただ、きっかけはダイエット・筋トレなのですが、深い思考を与えてくれた大きな要因は、読書であることは間違いないと思います。
ですが、ダイエット・筋トレをしていなかったら、絶対に読書はしていなかったと思います。
ダイエット・筋トレが与えてくれたもの
それでは、ダイエット・筋トレがどう影響を与えたのか?ということになります。
結果から言うと、「自己効力感」を与えてくれた。
これに尽きると思います。
僕にとって、「自己効力感」は魔法のようなものです。
ダイエット・筋トレに成果がで始めると、自分がなんでもできると錯覚します。錯覚というより、なんとなく自信が湧いてくるのです。
ダイエットも筋トレも、相当な期間、コツコツと地道にやり続けて、それこそ毎日、毎日、その結果に一喜一憂します。成功する日もあれば、うまくいかない日もあります。
でも、そんな毎日を自分で考え試行錯誤しながら、少しずつ前に進んでいくうちに、知らず知らずのうちに、小さな成功体験が蓄えられていくのだと思います。
そして、そのうち、「なんとかなるでしょ」「やればできるでしょ」みたいな考え方ができるようになります。
なんでもやってみたくなる
「自己効力感」があると、なんでもできる気がします。
できるか、できないか。という事は深く考えず、とりあえずやってみる。という発想になってきます。
やってみてダメならやめればいいや。そんな感じで、色々なことに手をつける様になりました。
今は、瞑想、ジョギング、カメラ、読書、ボディメイク、食事制限、断食などなど、気になったことはとりあえず手をつけています。
その中で自分に大きな影響を与えているのが読書です。
読書を始めたときは、本から何かを吸収したい。という理由ではなく、年間40冊本を読む!という、本を読むということが目標でした。
本を読むことが大事。と昔から言われているし、ダイエット中に聞いていた本要約動画でも、読書が大事大事だと呪文のように唱えられていたので、良い影響があるなら読んでみるか。という具合に、本を読むこと自体に興味を持ったのです。
なので、年40冊読んでみよう。と考えて、現在に至っています。
読書が与えてくれたもの
ダイエット・筋トレがきっかけで読書習慣が付いたのですが、この読書習慣は、筋トレと同じくらい自分の人生において大事なものなのだと思っています。
読書は頭の筋トレと言っても良いと思います。鍛えれば鍛えるほど、逞しくなっていきます。
読書歴は筋トレこそ浅く、まだ1年経っていません。
でも、その大事さは身に染みています。
読書が自分に与えてくれることは、思考の深さです。
自分では、到底考えつかないことを無理やり頭の中に入れられ、ぐいぐいと、自分の考える範囲を広げてくれます。
そうすると、広くなった領域で色々な価値観が生まれます。
今まで、本当に無知で、狭い価値観の中で生活をしていたんだな。と感じます。
読書の何が大事か?については、このテーマで数記事、書けてしまうくらいの内容なので、別記事で書きたいと思います。
「自分の幸せ」を考えるということ
「死」について考える
その読書習慣で、ローマの哲人、セネカと出会います。
セネカの「人生の短さについて」という本が自分の人生の考え方を変えてくれたと思っています。
この本を一言で言うと「人は必ず死ぬのに、人のために生きていていいの?もっと自分のための人生を生きなさい」みたいな感じです。
ローマ時代という大昔なのに、やっていることは今と変わらず、多くの人はせっせと、他人のための人生を生きているんだなぁ。って感じ、自分もそうなのではないか?と感じるようになりました。
そして、もう一つ「DETH 死とは何か」です。これはイェール大学のシェリー・ケーガン氏が書いた分厚い本です。恐らくこの本だと思うのですが、「人間は必ず死ぬのに、死ぬということを自分のこととして考えない」というような事が書いてありました。
それを読んだ時、確かに!と思ったのです。
「死」は誰にでも訪れる事なのに、どこか自分とは無関係な場所に置いている。そして、「死」を直視しなければいかない状態になって初めて、「死」を考えるようになる。
でも、その時には残された時間も、できる事も多くない。
そして、「生」への後悔が生まれる。
本当にその通りだと。目から鱗でした。
「生」という尊い素晴らしいものを持っていならが、それを贅沢に浪費している自分が、どれだけもったいないことをしているのか。そう感じるようになりました。
尊い限られた時間で自分が何をしたいのかを考える
そう感じるようになってからは、「今できること」「今しかできないこと」を考えながら行動するようになりました。
昔なら面倒臭い。と思ってやりたくなかったことも、そんな面倒なことも今しかできない、貴重な行動であり、体験だ。と考えてやるようになったのです。
どんなに泣いても、喚いても、人間はいつか死にます。
その限られた時間ということを、しっかりと理解し、その一瞬一瞬を大事に使っていくことが、自分の人生を豊かにするものなのだと思います。
自分が死ぬ瞬間、笑顔で、「いい人生だった」と言えるような人生にしたいと思っています。
「幸せの探索」こそ「幸せ」なのかもしれない
「幸せ」とは、とても掴みにくい概念です。
人生の永遠のテーマかもしれません。そして、時にその答えだと思っていたものは形を変えることもあります。そもそも、普遍の答えなどないのでしょう。
ですが、その「幸せ」について、考え、行動し、軌道修正をしながら、その幸せを探す日々こそ「幸せ」なのではないのでしょうか?
その探求により、日々自分が成長し、自分の人生の塗り絵が彩豊かになっていくのはずです。
塗り絵も、パズルも、完成してしまうと終わってしまいます。
「幸せ」も同じで、色を塗る作業自体が楽しいように、少しずつ自分の人生に色を塗っていくという作業そのものが「幸せ」なのではないかと感じます。
ここは、何色で塗ろうか?濃く塗る?少し奇抜な色にしようか?
自分の人生の塗り絵にどんな色を加えようか。考えただけでもワクワクしませんか?
僕たちは、人生という塗り絵を与えらました。
そのまま、塗らないのも、それも1つの人生です。
でも、僕はどうせなら、盛大に自分の好きな色を好きな様に塗りたいと思います。
だって、1度しかない、尊い自分の人選なんだもん!
まとめ
少し長くなってしまいました。
考えも、うまくまとめられないまま、本当に書き殴る様に記事を書いてしまいました。
もう少し、ライティングが上手くなったら、書き直したいと思います。
今回は許してください。
自分の人生観が、誰かの人生を見つめ直すきっかけになれば幸いです。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
また、次回の記事で。