カウンセリングの実践で「ありたい姿」と現状とのギャップに関する主訴が多く見られることは、心理学の研究でも支持される現象です。
この悩みの構造について、理論的背景から考察します。
人が悩む構造の基本メカニズム
このことについて、心理学的には理想自己と現実自己のズレとして説明されます。
心理学者カール・ロジャーズは、このズレが人間の不適応状態を生じさせると指摘しました。
人は「こうありたい自分」という理想自己を持ち、現在の自分である現実自己との間に生じるギャップに対して、否定的感情を経験します。
理想自己と現実自己の類似性が高まるにつれて、自己への肯定的感情が増加することが示されています。
つまり、ギャップが存在すること自体が人に行動変容を促す動機づけとなる一方で、ギャップが大きすぎると心身のバランスを崩すリスクが生じるのです。
現状維持が強化される心理的要因
クライエントが「現在の状態にとどめているもの」を何とかしたいという主訴を呈するのは、変化を阻む複数の心理的メカニズムが働いているからです。
現状維持バイアスと呼ばれるメカニズムがあります。
これは現状を維持しようとする傾向で、たとえ現状に不満があっても、変化によって状況が悪化するかもしれないという恐れから、現状維持を選択してしまいます。
進化心理学的には、人間の祖先が未知の環境を避けて生存確率を高めてきたため、現代でもこの傾向が根強く残っているのです。
さらに、変化への多角的な抵抗が存在します。
これには惰性、労力の増加、感情的な不安、および心理的反発が含まれます。人は脳が新しい情報を処理する際に多くのエネルギーを消費するため、慣れ親しんだ行動パターンを優先することで、エネルギー消費を抑えようとします。
理想自己の質的側面の重要性
興味深いことに、理想自己と現実自己のズレが大きければ大きいほど常に不適応につながるわけではありません。
研究では、理想-現実自己のズレと理想自己志向性(理想自己実現に向かう意欲と行為)の間に曲線関係が存在する可能性が指摘されています。
すなわち、ズレが小さすぎたり大きすぎたりすると理想自己志向性が低下し、適度なズレが存在する場合に志向性が最も高まるということです。
また、理想自己の質によって、クライエントの適応状態が大きく異なります。
理想自己が現実自己とのつながりの中で立ち上がるものであれば、現実自己から理想自己へと接近する可能性が高まります。
しかし、理想自己が「自分がなりえないもの」として認識されている場合には、ギャップが単なる不安や無力感を生み出すだけになってしまいます。
カウンセリング実践への示唆
これらの理論的背景から、カウンセリングの主訴として「ありたい姿」と現状のギャップが頻繁に現れることは、必ずしも異常ではなく、むしろ心理的成長への欲求の表れです。
重要なのは、クライエント自身がどのような理由で変化に抵抗しているのか、そしてその理想自己が現実自己とどのような関係性にあるのかを丁寧に理解することです。
カウンセラーが自己一致の状態で存在することで、クライエントも同様の状態を目指すことが促進される点も、この構造を理解する上で重要です。
クライエント自身が現状を維持している要因を認識し、その奥にある一次感情や心理的ニーズを理解することで、初めて変化への道が開けていくのではないでしょうか。



