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この記事について
今回の記事では、人生について書いてみたいと思います。
毎日、同じことの繰り返しで、つまらない、刺激がない、とか思っている人に読んで欲しいです。
自分もその一人でした。
今もたまに思う時があります。
ですが、そこから抜け出す方法を見つけたので、その方法などを書いてみます。
幸せってなに?
まず、毎日がつまらない。ということを考える前に幸せについて考える必要があります。
自分もここをきっかけに考え方を変えました。
外部から与えられた幸せの形
皆さんにとって、幸せってなんでしょう?
そもそも、幸せについて深く考えたことありますか?
自分はほとんどありませんでした。
だって、幸せって定型でぼんやりとしたものがあったので。
では、その定型な幸せってどんなものなのか。
「良い大学を出て、安定した職業に就職し、綺麗な奥さんと結婚し、マイホームで子供達と仲良く暮らす」
非の打ちどころのない幸せの形ですね。
ですが、この幸せの形って自分で考えた結果のものでしょうか?
少なくとも自分は違います。
与えられたものでした。
それは、親であったり、友人、テレビなどなど、色々なところから与えられた情報から作り上げた幸せでした。
確かに、これを不幸とは言いません。むしろ客観的に見れば幸福でしょう。
ですが、自分の人生を見つめて考えて考えて、考え抜いて出した答えではありません。
いつしか他人から羨ましがられる生活が幸せに変わっていた
ここで示した、外部から与えられた幸せの形は、客観的に見て、幸せなのです。
他人から見て、幸せ。他人から見て、いいなぁ。幸せそうだなぁ。と思われる典型的な幸せなんです。
そこに自分の価値観はありません。
この客観的な幸せが、考えた結果、最終的に自分の本当の幸せであるという答えを出したなら話は変わってきますが、自分はその過程を行っていませんでした。
その過程をしないまま、それを自分の人生の幸せであると考えていたのです。
「他人から見て幸せ」の延長には、色々あります。
高級車に乗る。価値の高いものを身につける。大金を使って旅行する。など、全てこの延長です。
その行動と他人からの評価があって「幸せ」が完成する幸せの形。
自分はそれらを追い求めて続けていたのだと思います。
一般的幸せを全て手に入れたら「普通」になる
いつしか、自分は「良い大学を出て、安定した職業に就職し、結婚し、子供を授かり、マイホームで妻と子供達と仲良く暮らす」と言う、与えられた幸せ像を追い求め、幸運なことに、良い大学とは言い得ませんが、大学を卒業し、比較的大きな安定した会社に就職ができ、妻と可愛い娘に囲まれて生活できています。そして、念願のマイホームも購入しました。
これらの一つ一つ、幸せの形を手にれるごとに、幸せを感じました。
ですが、全て手に入れた時、次に何をすれば良いのいのかわからなくなってしまったのです。
その当時は、「わからない」という感情は持っていませんでした。ただ、毎日が単調でつまらない。と感じていました。そして、次第に普通な毎日を送っている自分は、普通な人間であると定義するようになっていったのだと思います。
満たされない心
時間もお金もただ、消費するだけの行動
他人の評価があって完成する「客観的幸せ」には、際限がありません。
物を買っても、旅行に行っても、幸せであると思っている行動をしても、その時のわずかな時間は幸福感を感じますが、すぐに次を欲するようになります。
更なる承認が欲しいからです。
今、過去の自分を振り返ると、身の回りにある購入したものの殆どが、本当に自分が欲しくて買った物なのか?と尋ねられると、YESとは答えられません。他人からの評価も含めトータルで考えて購入しているものが殆どです。
今でもその癖は抜けません。自分が欲しいとは思っていないものでも、高価なものを欲しいと無意識にうちに思っていることが多々あります。
自分の購入するものを選ぶプロセスの中に無意識のうちに他人からの評価が入り込んでいるのです。
その結果、お金も、時間もただ、ただ、消費しただけのものになってしまっていました。
ちなみに、今はなるべく、物を購入する時、本当に自分が欲しいものなのか?自問自答して、欲しい理由、買って何をするのか?などを明確にしてから購入するようにしています。
人生が乾いている感じがする
毎日の生活が単調で、そんな生活に変化が欲しくって週末などに、友人と遊ぶ計画を定期的に組んでいました。
友人と会って、ご飯を食べたり、遊んだりする時は、本当に楽しい時間で癒しの時でもあります。
ですが、その時間が終わってしまうと、寂しくなるのです。
もっと、その時間が欲しいと、すぐに次の予定を組もうとします。
砂漠の真ん中で喉がカラカラに渇いている人が水を欲するように、そのひと時を欲していました。
人生が乾いていたのだと思います。
自分の人生という塗り絵
また、このようにも感じていました。
毎日の殆どが単調で、起伏の無い生活をしていると、自分の人生は、塗られていない塗り絵のように、毎日、毎日ページがめくられているな。と。
塗り絵に色を塗りたいのに、どうやって塗ったら良いかわからない。
何色で塗ったら良いかわからない。
そもそも、色鉛筆さえ持っていないかもしれない。
どうやったら、自分の人生が彩豊かなものになるのか、全くわかりませんでした。
まとめ
今回は【僕の幸福論】前編として、自分がダイエットや筋トレ、読書をする前に感じていた自分の人生観について書いてみました。
毎日、毎日、週末を楽しみに生きていました。特にイベントを企画すると、そのイベントのために日々を消化していたと言っても大袈裟でないほど、毎日を雑に生きていたと思います。
こんな自分ですが、今は考え方が変わりました。
週末は週末で今でも楽しみですが、今は平日は平日の楽しみがあることを発見したのです。
【後編】では、自分がその思考から抜け出した経緯などを書こうと思っています。
最後まで、読んでいただきありがとうございました。
それでは、また、次回の記事で。