この記事について
私が体験したミッドライフクライシスについて書こうと思います。
ゆっくりと忍び寄るミッドライフクライシス。
私は、その言葉さえ知らない状態でした。
でも、当時Twitterで心のうちを吐露した時、フォロワーさんから「それはミッドライフクライシスでは?」とリプライをもらって、初めてその存在を知りました。
最初は、自分はそんなに弱い人間じゃない。だから、ミッドライフクライシスであるはずがない。
という、根拠のない理屈で遠ざけていました。
私のミッドライフクライシス体験
知らず知らずのうちに変わっていたライフスタイル
40代に入った頃まで、のほほんと暮らしていました。
40代になると子どもたちは手がかからなくなり、少しずつ親を必要と無くなってきました。
また、友人たちはそれぞれ家庭をもち、子育てや仕事で忙しくなり、昔のように連んで遊ぶことも少なくなりました。
今までは、極端に言えば遊び中心で、あまり未来のことを考えずに生きてきたのだと思います。
当時の自分からしたら、未来のことを全然考えていなかったわけではありませんが、今の自分から見ると、全然考えられていない程度のものであるように思います。
自分の知らないうちに、少しずつ周りが変わり、いつの間にか自分だけ取り残されていたような気がします。
職場での立ち位置
職場では、40代となるとそれなりの職位になります。
バリバリ仕事をする同期との差が大きく見えるようになっていました。
今までは、どちらかというと、「仕事に人生捧げていいの?」みたいな斜に構えた態度でした。
でも、よくよく考えると、同期との差を認めるのが怖くて、そのように思っていたのかなと感じます。自己正当化バイアスです。
確かに、仕事は人生の全てではないとは今も思っています。
ただ、その時のその考えは、深く考えて出したものではないように思います。
気がつくと、職場では、「ただのおじさん」になっていました。
何も特出することのない、おじさんに。
コロナ禍でアイデンティティを失う
それまでは、趣味のバスケを毎週やっていました。
学生の頃からやっていたスポーツなので、それなりに経験もあり、自分のアイデンティティと言ってもいいものでした。
バスケを中心とした生活であったとも言えます。
毎週のバスケの為に自主練したり、動画見たり、時にはバスケ仲間とご飯に行ったりと、自分の生きるモチベーションの1つでもありました。
それが、コロナ禍で一気に無くなりました。
この時のショックは相当に大きかったです。
なんというか、「あれ?なんにもないじゃん」って思ったことを覚えています。
色を失った世界
少しずつ自分の周りの人間の生活が変わり、仕事での立ち位置を目の当たりにし、極め付けは、最後の拠り所であった居場所まで無くなりました。
今振り返って考えてみると、「自分を必要としてくれるもの」が極端に少なくなったということに気づいてショックを受けていたのだと感じます。
そのころは、なんだか生活に張りはなく、「色が塗られていない塗り絵」のような世界にいるような感じでした。
なんのために、今、会社に向かう道を歩いているんだろう。
この先、何が自分を待っているのだろう。
そんなことを考えながら、通勤をしていたことを思い出します。
私を助けたもの
そんなこんなで、自分はミッドライフクライシスの真っ只中にいるということを認めざる得ない状況になっていました。
ですが、意外にも重症にならずに済みました。
いや、済んでいる。と言うべきでしょうか。
結果的に私は助けられたのです。
それは、読書、特に哲学に。そして、筋トレです。
この2つのお陰で自分は、自分の土台をゼロから作り直すことができたように思います。
まとめ
今回は、私のミッドライフクライシス体験を書きました。
次の記事では、どうやってそれに対処した(対処している)のかを書きたいと思います。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
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それでは、また次の記事で。